「AをBに」はAがBに変わるだけでなくBがAに変わることも表す

 タイムラインを見ていたらこんなツイートが目に入った。

2022年5月10日 午後5:57 の@CDP2017のツイート

 国際標準と比べて劣っている日本の難民制度を国際標準並みに向上させようという主張である。私は政治や立憲民主党に関心を持っているし、リンクを見れば趣旨が分かるから言いたいことが分かる。

 ただ、「日本の難民制度を国際標準に!」だけを読んだ時に真っ先に思い浮かんだのは「VHS対ベータマックス」のビデオ戦争である。

家庭用ビデオレコーダーの規格争いとしては、もっとも有名な事例であり、単に「ビデオ戦争」といえば『VHSベータマックスデファクトスタンダード戦争』を指すことがほとんどである。

ビデオ戦争 – Wikipedia

自社が研究開発した技術規格を業界標準規格(優位規格)にせんとする開発者や企業の間で起こる争い。

規格争い – Wikipedia

 「『自社が研究開発した技術規格』を『業界標準規格(優位規格)』に」と書いてある。各メーカーは『業界標準規格(優位規格)』が『自社が研究開発した技術規格』になることを求めている。これを「日本の難民制度を国際標準に!」に当てはめると「国際標準」が「日本の難民制度」のようになることを求めているように読めてしまう。

 「日本の難民制度を国際標準に!」をGoogle翻訳したら「Make Japan’s refugee system an international standard!」となった。「Make A B!」の形である。同じく「Make A B」を使った英語に「Make Chrome your default browser」がある。日本語では「Chrome を既定のブラウザにする」である。「『Chrome』を『既定のブラウザ』に」である。ブラウザ以外のアプリなどのリンクをクリックした時に開くブラウザがChromeになるようにすることである。これなら「日本の難民制度を国際標準に!」が「国際標準」が「日本の難民制度」のようになることを求めているように読めてしまうことを納得してもらえるだろうか?

 ちなみに、「市原市の言語を日本標準に!」をGoogle翻訳すると「Make the language of Ichihara the Japanese standard!」である。もちろん、市原市民の皆が日本の標準語を話すようになることを望んでいるのではなく、市原弁が日本に標準語になることを望んでいるのが「市原市の言語を日本標準に!」である。

市原市の言語を日本標準にしたいんです。

賛成です。早速、市原弁のビデオを作りましょう。

何を言ってるんですか?

市原市の言語を日本標準にするんですよね?
それならば市原弁のビデオがあった方が便利でしょう?

市原弁のビデオは必要ないでしょう?

ビデオがあった方が市外の人が市原弁を勉強しやすいでしょう?

いやいや、どうして市外の人が市原弁を勉強する必要があるんですか?

市原市の言語を日本標準にするんですよね?
それなら、市外の人に市原弁を勉強してもらわなければいけないでしょう?

何を言ってるんですか?
意味不明です。

市原市の言語を日本標準にするんですよね?

そうですが…。

じゃあ、どうしたら良いと思いますか?

日本の標準語のビデオを作って市原市民に配るとか…。

えっ?

えっ?

コメント

タイトルとURLをコピーしました