人が生きるためには誰かの役に立つ実感が必要

 前にも書いたけれど、人が働くのは賃金をもらうためとは限らないし、働かず、誰にも必要とされてない状態に耐えられる人は僅かだろうと思っている。「国民に生活に必要な十分な金を支給したら誰も働かなくなる」なんてことは起こらないと思ってる。そんなことを裏付けるような情報をまた見つけた。

 私はスペインで「時間銀行と移民・難民」というセミナーを取材した際、あるシリア人男性がこう話すのを聞いた。
「難民キャンプでは、支援されるだけの毎日。多くの若者が自殺しました。母国では自分の役割を持って生きていた彼らは、命懸けで国を出てたどり着いたキャンプで、“何もできない”ことに絶望し、自ら命を絶ったのです
 スペインへの移住が認められたその男性は、時間銀行で「私にもできることがある」と、生きる意味を再発見したという。

「社会的連帯経済」への誘い11  のきした時間銀行「ひらく」 共有から生まれる豊かさ | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス

 人が生きるためには「自分の役割」を自覚できることが大切。何の役割も無いように感じている状態が長く続くと耐えられない。自殺する人もいる。そんな例だろう。

 上の引用に出てくる「時間銀行」に関して、詳しくは記事に書かれているのだけど、引用文の上にスペインでの例が紹介されている。

 スペインは、世界各地からの移民・難民が暮らす地域が多い。そこで運営されている時間銀行は、年齢や性別だけでなく、言語や文化、肌の色も多様な人々が参加する、インクルーシブな場だ。個人的な助け合いはもちろん、大勢が1つの活動を通して時間と空間を共有する機会も生み出している。例えば、シリアからの難民が、時間銀行が開くスペイン語教室で言葉を身につけ、そこで出会ったスペイン人の隣人のために、シリアの郷土料理を教える。そうして地域の人が互いに知り合い、共に過ごせば、誰もが何らかの形で誰かの役に立つ。その実感こそが、豊かな暮らしにつながる

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 お互いに自分の「時間」を他の誰かのために使う。その報酬も他の誰かの「時間」という構造になっている。ただ、そんな報酬のためではなく「自分の役割」を感じるために自分の時間を使っている。

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