NHKの朝ドラ、連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が終わった。
この話の中で、五十嵐が夢を諦めるシーンがある。その五十嵐に錠一郎が「五十嵐くん。これからいろんなことがあると思うけど、それが五十嵐くんの選んだ道やったら、それは五十嵐くんの日向の道になるから」「日向の道を歩けば、きっと人生は輝くよ」と声をかける(2022/3/9放送)。
五十嵐がひなたと再会するシーンで、五十嵐がひたなに夢を諦めた後の自分について話すシーンがあって、それによると、夢を諦めた直後の人生は輝かなかったみたいで、別の道を選んで、やがて輝く。輝くまで時間がかかったけれど、輝かなかったときも「日向の道」を歩いていたということなのか?「日向の道」じゃなかったということなのか? どんな選択でも、どんな結果でも、どんな人生でも、自分で選べは「日向の道」ということか?
今日、こんな記事を読んだ。
もし『タッチ』にキャスティングされていなかったら……多分私はここにはいないと思う。というのも、芸能界を諦めるか否かの決断をしなければならない期限が、数カ月後に迫っていたのだ。
18歳で歌手としてデビューしたものの、決して成功したとは言えず、進学した短大も仕事で通えず中退してしまった私に、家族の風当たりは厳しかった。両親は私が芸能界で生きていくことはもとより、社会人として経済的に自立できる可能性も低いと考えて、とても心配していた。
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彼女は20歳の時に決意してがむしゃらに頑張って少しずつ仕事を貰って期限の直前に「タッチ」の浅倉南の声を担当させてもらえるのだけど、もし選ばれなかったら彼女は声優を続けていなかったことになる。それは、すなわち、浅倉南は彼女の声ではなかっただけでなく、その後に彼女が担当した声は全て違う声優が担当していたことになる。それらの声を彼女が担当した世界と、彼女が担当しなかった世界とでは、どちらが良かったのだろうか? 彼女が浅倉南の声優として選ばれなかったら、私たちにとって、大きな損失だったのだろうか?
彼女は自分で選んだ道を歩いて、そして人生が輝いた。彼女が選んだ道は「日向の道」になった。彼女が「一番の暗黒時代」と呼んでいる時期も「日向の道」だったのだろうか?
今日、懐かしいバンドのYouTube動画を見た、そのバンドのボーカルは突然バンドから離れた。ソロで歌うことにしたわけではなさそうだった。離れた理由は分からなかった。まだ高校を卒業したばかりで若かったし、ボーカリストとしての力もあったと思う。ただ、売れるかどうかは別である。彼女がボーカリストとしての道を諦めていたとしたら、それは私たちにとって大きな損失だったのだろうか?
彼女はその後、どんな人生を送ったのだろうか? 「日向の道」を歩いているのだろうか?
理由は分からないし、その後のことも分からないけれど、バンドから離れる道を選んだのは彼女である。「カムカムエヴリバディ」の五十嵐と重なった。「日向の道」を歩いていて欲しいと思う。
そんなことを書いている私も20年以上前に仕事から離れた。自分で選んだ新しい道を歩こうとした。そして、今は仕事をしていない。20年以上も仕事をしていない。そんな選択をしたのは私である。自分で選んだ道である。私の人生は輝いているのだろうか? 私は「日向の道」を歩いているのだろうか?
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